6/26(水) 五木の子守歌のルーツを訪ねて

 先日、竹田の子守歌をアップした。今度は、五木の子守歌が気になった。実は、今から37年前、五木の子守歌の里、五家の庄を探して新婚旅行に出かけた。12月の半ば過ぎで、北から行っても、南から行っても雪のため、レンタカーでチャレンジしても断念せざるを得なかった。当時、間もなくダム建設のため埋没するという話があり、現地で正調を聞きたいと思ったからだ。それと、私の日本のルーツ、最初の着地が長崎県の佐世保だったからである。満州・大連で生まれて、1年半後くらいだったと思う。
 竹田の子守歌も五木の子守歌も、日本のララバイとして子守歌の素晴らしい原風景だと思っていた。ところが、子守歌ではなく、守子歌、労働歌だということが分かった。なんと、自分は表面的なことをイメージしていたんだろうと、最近になって分かった。40年近くになって、そのルーツが分かってきた。

その昔、山深い五木の里の暮らしは厳しく、娘たちは幼いころから家を助ける為子守奉公に出されました。娘たちは奉公の辛さや父母を思う気持ちを口ずさみ、それがいつしか哀調を帯びた「五木の子守唄」になったのです。

五木の子守唄はどれが1番で、どれが2番というものではありません。 また、どれが元唄なのかこれも、ぜんぜんわかっていません。 専門家によると、多分、即興的に歌われだしたものだといわれています。
また、歌詞やメロディの発生時期・時代についての記録も伝承もなく、自然発生的に歌われだしたものが、今日まで伝承されてきたと解釈されています。 (熊本県五木村のWebより抜粋)


(1)
おどま盆ぎり 盆ぎり
盆から先ゃ おらんど
盆が早(は)よ来(く)りゃ 早よもどる

(訳)
私たち(の子守奉公)はお盆まで、お盆まで
お盆が過ぎたら居ませんよ(実家に帰るんですよ)
お盆が早く来れば、早く(家に)帰れる

(注釈)
「おどま」は「私たちは」、 「盆ぎり」は「お盆まで」、「おらんど」は「いないよ」、 「早よ」は「早く」、「来りゃ」は「来れば」、「もどる」は「帰る」という意味。「私は、盆までの約束で、この家へ奉公に来ているのです。盆が来れば、家に戻れるのです。早く盆よ、来てくれ」と家へ帰れる日を待つ気持ちを言ったもの。


(2)
おどま かんじん かんじん
あん人達ゃ よか衆(し)
よかしゃ よか帯 よか着物(きもん)

(訳)
私たちは 貧乏で みすぼらしい
あの人たち(ご主人たち)は お金持ち
あの人たちはみんな 美しい帯や着物を持っている
(お盆に家に帰ったとき、自分も着れたらいいけど・・・)

(注釈)
「かんじん かんじん」は、熊本の発音では「くぅわんじん くぅわんじん」。熊本弁では、「か」という発音と「くぅわ」という発音は、別の意味がある。「くぅわんじん」は、漢字では「勧進」と書く。意味は、社寺仏閣の建立等の為の寄付募集のことで、転じて、こじき、物乞い 、貧乏(自分を卑下した言葉)といった意味がある。「寄進を求めて物乞いをする人たちのようなものだ」というのが一般的な解釈。「衆(し)」は「人たち」、「よか衆」は、直訳すれば「良い人たち」だが、意味としては「お金持ちの人たち」つまり、子守として雇ってくれた人たちのことを言っている。「よか」は「立派な」とか「美しい」とか「お金持ち」という意味。「自分は、身分の低い勧進生まれで貧乏な娘です。それに比べてあの人達(ご主人達)はよか衆(お金持ち)の家に生まれたもんだから、よい着物を着て立派な帯を締めて、幸せだなあ」と羨む気持ちを言ったもの。


(3)
おどんが うっ死(ち)んだちゅて
誰(だい)が泣(に)ゃてくりゅきゃ
裏の松山ゃ 蝉が鳴く

(訳)
(遠く離れた所に子守奉公にきた)
私が死んだからといって
誰が悲しんでくれましょうか 
裏の松山で、蝉が鳴くだけです

(注釈)
「おどん」は「私」、「ちゅて」は「と言って」、「泣ゃてくりゅか」は「 泣いてくれようか」。「私が死んだって、誰も泣いてはくれない。裏の山で、蝉が鳴いてくれるぐらいのものだ」という諦めの気持ちを言ったもの。


(4)
蝉じゃ ごんせぬ
妹(いもと)でござる
妹泣くなよ 気にかかる

(訳)
蝉ではありません
私の妹です
泣かないでちょうだい、(どうしたのかと)心配になりますよ

(注釈)
「ごんせぬ」は「ありません」「ございません」、「ござる」は「です」「ございます」という意味。
「蝉だけじゃなかった。肉親の妹も、私が死んだら、こころから泣いて悲しんでくれるでしょう」という諦めの気持ちを言ったもの。


(5)
おどんが うっ死(ち)んだば
道端(みちばちゃ)埋(い)けろ
通るひと毎(ご)ち 花あぎゅう

(訳)
私が死んでも(墓参りなどしてくれないだろう)
(それならば、人通りのある)道端に埋葬して下さい
通る人たちに 花でもあげてもらえるでしょう

(注釈)
「おどん」は「私」、「だば」は「だならば」、「埋けろ」は「埋めて下さい」、「あぎゅう」は「あげる」。
「私たち、身分の低い娘が死んだとて、墓どころか裏山に捨てられ、誰もかえり見てくれないでしょう」という気持ちを言ったもの。


(6)
花はなんの花
つんつん椿
水は天から 貰い水

(訳)
(あげてもらえる)花は何の花でもいいのですが
(道端に沢山ある)椿の花がいいですよ
水が無くても 天から雨が降ってきますから

(注釈)
水などわざわざ挙げてくれなくても、天から雨として貰うから心配しないで、と言っている。

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Author:つれづれ日記
白玉の 歯にしみとほる秋の夜の 
酒はしづかに飲むべかりけれ
         (若山 牧水)

月々に月見る月は多けれど
月見る月はこの月の月
(詠み人知らず)

 
 日々自然とともに、日々是好日、「人間到処有青山 人間(じんかん)到る処 青山(せいざん)有り」 釈月性(浄土真宗)にあらん・・・

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